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小難しいダイエットができないアラサー女のブログ。

1年半くらい不妊治療を行いやっと妊娠出来ました。

皆様こんにちは、とても久しぶりのブログ記事です。

久しぶりにパソコンをかまっているのでついでの更新。

 

1年半くらい不妊治療を行いやっと妊娠出来ました。

ツイッターの方では1年と書いていますが、以前の通院を含めると1年半でした。

「半年くらいで妊娠するかな~」

とか軽~く考えていました。が、結局一年半かかりました。

 

もう今年31になります。

毎回夫とは、サラリーマンしてた20代のころに小づくりしておけばよかったね。

と話しています。

これに関しては完全に同意できませんが。

まずこのころの夫は朝早く出勤し、夜遅くに帰ってきます。

休日も多くなく、給料もそこそこ低いです。

子供ができたとして、育児に参加できるのか?といった不安があったため自営業になってからの妊娠を希望していました。

妊娠中も通院についてくるなんてできないだろうな。

 

私側の問題点は、妊娠しながら働くことです。

以前勤めていた会社は産休育休は当然取らせてくれますが、産休って割と生む直前からですよね?

後でも書きますが私は妊娠初期にトラブルが多数あったので、そういったときの1週間安静などを受け入れてもらえるか問題があります。

それに休んだらその分収入減るのでちょっと厳しいですね。

 

ということ夫の実家に帰って自営業を始めてからの妊活でした。

 

またこれにも問題点がたくさん!

まず、夫の実家ど田舎過ぎて産婦人科全くない!

小さな町なので病院は歯医者しかありません。

車で30分かけて中心地の産婦人科に3回くらい通いました。

すると3回目で「閉院のおしらせ」という張り紙がされていました。

ここの産婦人科、超よぼよぼのおじいちゃんが院長先生だったためご高齢で閉院することになってしまったのです。

むしろこんなお年まで産婦人科を続けてくださってありがとうございますという気持ち。ただ。個人病院での産婦人科は0になってしまい、総合病院に回されました。

 

市内の総合病院!

次は市内の総合病院、この市では最大の病院です。

産婦人科医は3~4名おり、産婦人科はいつも人であふれていました。

不妊治療の先生は忙しく、緊急の出産やオペが入るとすぐに診察が止まってしまいます。

先生はいつも「お待たせしてすいません」と患者さんに謝っていました。

もうちょっとなんか、配置考えてあげて!

 

何回か薬や注射で排卵誘発を行ないましたがうまくいかず、私は「県内の大きい病院じゃなきゃ無理」と言われてしまい県内最大の病院に転院することになります。

このことは少なからずショックでした。

「あ~私そんなに妊娠できないの?」と自分の機能について不安になっていました。

 

県内最大の病院での不妊治療がスタートしました!

この病院へは車で1時間かかります。

往復2時間。慣れればなんてことないです。

ただ私は車の運転をしていると半端なく眠たくなってしまうので、ちょいちょい仮眠をとりながらの移動でした。時間のロスが激しい。

夫が運転できるときは協力してくれていました。夫も眠くなってしまうので結局休みながらなのですが、一人より安心です。

毎週「ハライチのターン!」というハライチのラジオを聴くのが楽しみでした。

ハライチのラジオがあったから妊活頑張れたようなもんです。

 

不妊治療スタート

の前に少し体重を落としましょうということになり栄養指導を受けたり内分泌科というところに行き、血液の状態(血糖値など)を見てもらったりしていました。

余談ですが内分泌科の先生との関係が一番長く、この病院では一番心を開いています。

話しやすい先生なので相談しやすく、すべての先生がこうならな~とおもっていました。

 

少しだけ体重を落とせたので、このまま体重管理は続けつつ、不妊治療スタートしようということになり産科に戻りました。

最初はやはり薬での排卵誘発を行ないました。

うまくいきそうなときもありましたがほとんど排卵せず、後半は自己注射での排卵誘発になりました。

最初はタイミング法を行なっていたので「3日以内に排卵しそうだから、タイミングとってください」と先生に言われます。

そしたら夫に「三日以内だ!」と言ってセックスするってかんじでした。

ただ、排卵する時期がどうしても忙しい時期と重なってしまうことが多く、私もつかれているのでなかなか回数とることができなかったのです。

 

このころの私はホルモンの関係で性欲がほぼ無くなってしまい、夫からのお誘いもほとんど断っていました。

夫には申し訳ないとずっとおもっていました。ただ、本当にしたくないというかする気が起きないことが多く、排卵に合わせて義務的に行うセックスしかしていませんでした。

ただこのセックスしたくないメンタルの時はきっとうまくいかないんだろうなともおもっていました。

 

タイミング法ではもう難しいかもしれない、となり次は人工授精に移りました。

ここから不妊治療費が跳ね上がるのですが、菅総理不妊治療を保険適用してくれたおかげで何とか続けることができました。後にも先にも尊敬する総理大臣は菅さんしかいません。

一回約7000円くらいかかります。3分の1負担なので保険適用でなければ21000円/回くらい…無理…(細かい計算はしていません)

人工授精って?と思う方もいらっしゃると思います。

私も直前まで「もう卵子を取り出して顕微鏡で精子入れるやつやるんか・・・」と思ってましたが違いました。

夫の精子カップにとってそれを精製し、元気な精子のみ厳選して私の子宮内にチューっと注入する

のが人工授精です。

日帰りでできますし、当日急に行うことも可能です。

大体行う回数を決めていて5~6回人工授精を行い、それでも受精しない場合は体外受精に移る。といわれました。

なんとなく聞いていた言葉ですが、これが実は結構後々重く感じる言葉で、

人工授精をするたびカウントダウンをされているような気持になってしまうのです。

 

ちなみに不妊治療中は月経が来るたび超落ち込んでいました。

経血に「今月もお前は不能だったぞ」と言われている気分。

最初の方は毎回泣いていました。が、「泣いても仕方ないやろ」思うようになり月経が来ても「つぎつぎ!」と思うように。

 

そして二回目の人工授精が終わり、2週間たっても月経がこない!

妊娠検査薬を使うと陽性!はじめてあの枠内に2本の線ができました!

そして病院に!フライング気味だったけど、妊娠していると言われ、とっても嬉しかった!

夫はまだ実感しておらず、「いや、まだわかんないから」と言っていましたが。

(もし違った場合に私が落ち込むのでこの反応だった)

妊娠9週くらいで病院に行ったとき、うねうねと動いている赤ちゃんのエコーを今でも忘れることができません。

 

ただ妊娠9週くらいで出血。

切迫流産になり、「流産」という言葉のインパクトに衝撃を受けます。

1週間の安静。自宅で動かず眠る日々。おなかの中で赤ちゃんが生きているのかわからない不安はとてもつらかったです。

 

私は自営業なので休むことができましたが、世の中の女性はこう簡単に休むことができるのだろうか、と考えていました。

きっと会社に言いにくかったり、大きな仕事を抱えている人は休めないだろうな。

そして妊娠に気が付かず流産してしまう人もたくさんいるのではとかんがえていました。

もっと女性が出産育児しやすい世の中にならないとな…

 

 

一週間の安静で流産は免れました。

無理せず過ごせとのことで今まで程、仕事はしていません。

無事母子手帳も手に入れ、マタニティライフをスタートさせています。

 

1年半の不妊治療、妊娠してからもいろいろあり、妊娠糖尿病、妊娠高血圧などこれからもいろいろ起こりそうですが、この子が元気に生まれてきてくれるよう頑張っていかなければ!と毎日思っています。

 

子育てについては政府の支援などがなんたら~とニュースで見ていますが、

いい方向に進むことを願っています。